4月文楽公演第2部

大阪は国立文楽劇場、4月公演は豊竹若太夫襲名公演である。事前知識を全く入れずに行ったが、入場前に立ち寄った展示コーナーでだいぶ学習した。竹本義太夫が創始した義太夫節をより豊かに語るということで創設されたのが豊竹座で、その始祖が若太夫を名乗ったということである。先代は異例の早い出世を果たした名人で、今回襲名するのはその孫にあたる。

「団子売」。人形が踊る、というのはどういうことなのだろうか。しかし確実に人形が踊っている。幕開きにふさわしく華やかだった。

「口上」。これが一番おもしろかった。太夫部、三味線部、人形部からそれぞれ一人が口上を述べたが、三味線を代表して語ったのは大重鎮らしき方で、「戦後まだまもない、私が小さい子どものころ、文楽が好きで好きでたまらなくて通い詰めていて、そのときに先代の若太夫義太夫を聞いてなんというすばらしい語りだろうと思って…という話をすると私がいかに年寄りなんだろうと思うと思いますが、、、年寄りなんでございます」。名人落語家のような語りであった。太夫部の思い出話は先代の豪快さについてで、晩年目が悪くなってから競馬新聞を弟子に見させて、「マルとかサンカクとかの印がついてるのはどれや。よっしゃ、それを中心に総流しや!」と、賭け方も義太夫節と同じように豪快であった。人形部からは勘十郎が当代と一緒にブラジルだかに行ったときに水着の美女に見とれて日焼けしまくったことなど。いずれも完成された語りであった。

襲名演目の「和田合戦女舞鶴」。隣の席の老夫婦も言っていたが現代の価値観からするとあまりに封建的で感情移入できない。子どもたちが出陣してきていたいけに手柄を立てたいというなか、自分の息子はなぜ来ないのだろうという不安から、出し抜いて夜半にやってきたことの喜び、兜の緒にかけた夫の謎かけに気づいてハッとするところ、気持ちの落差が見どころである。しかしこの時点で板額はとりかえ子のことを知らないから、どこまで理解したのか。その後夫はとりかえ子のことを知っていると聞いて、夫からのメッセージの真意に気づくという筋だろうが、観客としては熊谷陣屋の「一枝切らば一指切るべし」や菅原伝授手習鑑の寺子屋の段などを想起するからこの時点で兜の緒に込められた意味を理解した。一間のうちに隠れさせた息子に必死の一人芝居でお前は本当は自分たちの子ではなく裏切り者の子どもだと勘違いさせて自発的に腹を切らせつつ、最後にはそれが嘘であることを明かすのも、まあそういう物語だから仕方がないとは言いながら冗長でなぜそんなことをするのか、と思ってしまった。自分は武士道に反する者の子ならば恥ずかしいから死ぬと切腹した息子に、実はその話は嘘で、と種明かしする方が残酷ではないか?将軍の子を守るために身代わりに死んでもらうのだと言って最終的に納得して死んでいくのならば素直に初めからそういえばいいのに。しかしそういうこと全てがあまりに封建的な物語で、いくら技巧を尽くしたところで口の中に噛みきれないスジのようなものが残ってしまう。久々に東海道四谷怪談を見たらあまりのDVクズ男具合に、哀れだとか怖いだとかいう気持ちが吹き飛んでしまったときのことを思い出した。

とは言いつつ、こうした複雑な心理描写と、そもそもの話の筋を、字幕はあるとはいえ語りと人形芝居ですんなりと理解させて考えさせるところに、現代文楽の高度な技と、今回襲名する若太夫のそれとは気付かせないくらいの語りの力があるのだと思った。つまりこの批判は逆説的な賞賛である。

「釣女」。文楽の方が歌舞伎よりも元になっている狂言に節回しも演出も忠実なように感じた。太郎冠者の真摯さがかえっておかしみにつながり大変楽しんだ。最後はどんちゃかどんちゃかしないと終わらないのが文楽の味であろうが、スッと終わる狂言の巧みさを感じる。

3部公演は程よくて良い。程よいという価値があるなぁと思いながら、文楽劇場を後にして大阪の飲み屋街を楽しみに出かけた。